2011年12月21日水曜日

―ドストエフスキー―

※『ドストエフスキー』執筆開始しました
1月中旬の完成を目指しております
明日、下記文章とまったく同様のアプリを
アンドロイドマーケットに配信予定です
@本作品について\n
題名:『ドストエフスキー』\n
著者:GJOE2PROJECT2646\n
底本:中山省三郎『ドストエフスキィ』\n
世界文学社出版\n\n\n

ドストエフスキーの生涯を追う\n\n\n

@目次\n
Chapter1 風格\n
Chapter2 彼の家\n
Chapter3 父と母\n
Chapter4 幼少時代\n
Chapter5 新しい運命\n
Chapter6 新しい作家\n
Chapter7 主義サークル\n
Chapter8 死刑判決\n
Chapter9 シベリア流刑\n
Chapter10その街にて\n
Chapter11 帰還\n
Chapter12 放蕩の日\n
Chapter13 受難の日\n
Chapter14 熱情\n
Chapter15 賭博\n
Chapter16 うら若き速記\n
Chapter17 家庭的な夫人\n
Chapter18 友人\n
Chapter19 欧州へ\n
Chapter20 貧しい文豪\n
Chapter21 仮住まい\n
Chapter22 家庭生活\n
Chapter23 修道院\n
Chapter24 最期のときに\n
Chapter25 去りし後の世界\n
Epilogue 略年年譜\n\n\n


Chapter1\n
-風格-\n\n\n

はじめに、偉大な作家、ドストエフスキーの見た目のことを語りましょう。フランスの詩人にシャレスという人がいますが、彼はドストエフスキーの見た目について、著作『三人』の中でこう記しています\n\n

――背は低くないが、ロシア人としては小さい方だと言えましょう。彼は神経質な性格でした。忙しくなると、彼はあらゆる動作に、熱に浮かされたような不安の色が浮かぶのでした。また時には、まるで墓に埋まったかのようにノロノロとすることもありました。興奮しているかと思えば青ざめる、落ち着かなければ汗をかく、そんな苦しみの人間なのです。私はよく、彼の汗ばんだ顔を思い出します。何か不満があると、彼はまるで病人のようになるのです。いやしかし、そうかと思えば突然、彼の顔には満足というものがさっと広がって、まるで青年のように生き生きとした顔をするのです\n\n

彼の頭、これがとても特徴的なのです。人はこぞってこれに注目します。いわば、ドストエフスキーは頭だけの人間なのです。彼は人並み外れて大きくて広い、あらゆる方向に張り出たような頭を持っていました。あらゆる線が強烈で力強く、それはいかついと言えるぐらいなのです。しかしそれでいて、彼の全身からは、不思議と優しさと繊細さが溢れておりました\n\n

彼の頭髪はまばらでした。髪の毛は薄い灰色です。はげ頭とまでは行きませんが、早くから毛は抜け、前髪が後退しておりました。このせいで、彼の額はよりいっそう、大きく、高く、広く見えるのです。そして、眉間のしわと、その上の横に伸びた2本のしわが、まるで額をまっぷたつにしております。おそらく若い頃の彼は、『白痴』の主人公ムイシュキン公爵に似ていたことでしょう。もっとも、彼はその後の成長の中で、公爵から、貧血するほど肉という肉を抜き取ってしまったという印象です。赤茶けた長いひげも、貧弱で不恰好なのでした\n\n

そして、彼は大きな耳を持っていました。高く厚く、鼻よりも長い耳なのです。目の下にはくぼみがありました。小鼻から唇に掛けては、深い谷のように2本の筋が走っています。顔全体が痩せてしまっていて、その中に深く刻まれた、太いしわがあります。そして右のほほには、世間でもよく見かける、幾つかのシミがありました\n\n

彼の目。これは生命そのものという感じのする、輝くような目です。彫りが深く、ぐっと引き込んだ奥に、彼の目はあります。目の色はくすんだ空色で、淡く澄んでいます。両目にはおぼろげな哀しさのようなものがあって、その中に、火のような輝きがあるのです。ある時は夢想に入って光を失ったかと思うと、またある時は月のように輝きました\n\n

彼が眉をひそめた時、そこにはこちらが感嘆してしまうような、興味深い視線があります。それは注意深く観察しているが、外面ではなく、相手の内部、存在の内部を観察する視線です。そしてこの視線は、あらゆる感情を抜きにして、何一つ隠そうとせずに向けられるのです。それは熱を帯びていて、相手のひとつの苦悩も見落としはしません。この目を見たとき、私は真にドストエフスキーの偉大なこころを見出すのです。そして貧弱な外見にもかかわらず、この目だけで、私は彼の魂が健康そのものであることを確認せずにはいられません\n\n

それは恐ろしく真剣な、ほとんど厳しいと言ってもよさそうな視線なのです。それほど彼は、獲物の上に飛び掛る瞬間を、じっと待ち構えているのです。そしてそれは、限りない哀しみを携えながら、待ち構えます。それはなんらか、宗教的な哀しみでもあり、また人々が感ずる、一般的な哀しみでもあります\n\n

そしてまた、彼は善い人なのです。たとえ不公平な時でも、彼は善いこころを持っていました。感じのよい、厚い、寛大な、それでいてどこか執拗な唇が、私にその事実を訴えているかのようです。彼は不満を感ずると、口の端をちょっと上げてみせて、悪意のある微笑を浮かべました。しかしそれでいて、彼のこころは満足しているのです。純真で重々しい彼の中のこころが、そうしてまた、彼に独特の、魅力的な表情を作らせました――\n\n

以上のように、ドストエフスキーがある時は少年のように明るい表情を、ある時は大人のように暗い表情を浮かべる、そんな人物だったようです。シャレスだけでなく、ドストエフスキーと親交のあったロシアの詩人プーシキンもまた、彼の様子をこう語っています\n\n

――見たところでは、とても不恰好で、小さくて、不細工のように思いました。ところがです。彼がひとたび口を開くと、この不細工な人の言葉は、なんとも言いがたい魅力を醸し出すではありませんか。もう皆さんご存知のように、彼は人間の魂の、奥の奥まで、深く見抜くことの出来るひとなのです――\n\n

彼の兄弟をはじめ、多くの人々が、このように文豪ドストエフスキーの生い立ちや、人となりを語っています。さて、筆者はこの偉大なる文豪について記録された事実を、これから紐解いていこうと思うのです\n\n\n


@いかがでしょうか?\n
アインシュタインから手塚治――あらゆる文化に影響を与え続けるドストエフスキーの真実が、ぎゅっと凝縮された著作です。本リメイクは20121月中旬の完成を見込んでいます。アンドロイドマーケットのアプリとして配信し、最低価格99円を予定しております。ドストエフスキー文学に興味のある方もない方も、何かしら、新しい発見をされることでしょう。ぜひともお手に取り、読んで頂ければと思います。この度はご拝読頂き、ありがとうございました\n\n\n

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