2011年9月29日木曜日

9月30日執筆メモ;ようやくジェームズ・ボンドが再起動!『007』最新情報

ようやくジェームズ・ボンドが再起動!『007』最新情報
 2011年9月30日 18:00
新ジェームズ・ボンドとして見事な英国スパイを演じているダニエル・グレイグ。当初は「あんな無骨な顔がボンドを演じられる訳がない」と熱烈な007ファンたちから批判を浴びていたダニエル版007だが、『007/カジノロワイヤル』『007/慰めの報酬』は商業的に成功を収め、作品も大いに高評価を受けた。が、続く最新作については予算関係の問題などから製作が頓挫。しばらく"宙ぶらりん"の状態が続いていた。

そんな中、『007』シリーズ最新作の製作状況がようやく公開された模様である。同最新作は当初、インドでの撮影が予定されていたが、撮影描写や撮影期間を巡ってインド政府側の許可がなかなか降りず、結果として南アフリカ共和国への変更が決まったらしい。インドが懸念したのは日常風景である列車の屋根の上に乗る描写場面や、高速時におけるアクションシーン撮影の安全性など。プロデューサーら製作陣はやむなく代替地であった南アフリカ共和国へのロケ地変更を下した形となる。尚、ダニエル・グレイグの最新作はハリソン・フォード共演、スティーブン・スピルバーグ監督の『カウボーイ&エイリアン』。国内では10月22日より公開予定である。

世界都市の舞台そのものも映画の魅力である007シリーズ。日本が舞台となったのは1967年公開の『007は二度死ぬ』。丹波哲郎が日本の情報機関ボス役に、日本人ボンドガールは若林映子と浜美枝が務めた。妙に中途半端な日本や日本人の描写が小気味良かった作品であった。リメイク作でも新作でも良い、また日本にジェームズ・ボンドが来て欲しいものである。その場合、ボス役は既にハリウッド映画でキャリアのある渡辺謙、ボンドガール役は米ドラマ『フラッシュフォワード』出演の竹内結子、『バベル』出演の菊池凛子らの名が挙がりそうだ。

【記事:G・JoeⅡ】

2011年9月28日水曜日

9月29日執筆メモ;上海地下鉄追突事故、"見切り発車"やめ質高き発展を

上海地下鉄追突事故、"見切り発車"やめ質高き発展を
 2011年9月29日 16:00
1995年に開業して運転が開始された。2000年に3路線に増えた。世界万博開催地として選出されてからは共産党に怒涛の開発ラッシュが続き、なんと僅か10年の間に13路線を開発。地下鉄はこの世界都市の中心部をほぼ隈なく網羅した。運賃は3元(約50円)から。数分おきに後続列車が到着する――そう、上海市民の足、上海起動交通(地下鉄)である。そして驚くことなかれ、更に10年後には21路線に拡大するプロジェクトが進行中で、今も気付けば新しい駅が誕生している。その怒涛の開発計画が進む中、安全性は20年前から置いてけぼりだったのか。

27日、中国・上海市で起きた地下鉄の追突事故が発生した。豫園など観光名所を通過し、外国人利用客も多い地下鉄10号線において、信号システムの故障が原因で270余りの重軽傷者を出す結果となり、少なからず日本人の負傷者も確認された。今年7月に起きた鉄道史に残る惨事、中国浙江省温州での中国鉄路高速(和諧号)脱線事故でも、その原因として指摘されたのは信号システムの故障。その上、今回の地下鉄事故も事故調査が4時間余りという短時間に一旦打ち切られるという展開に。現時点では批判を受ける形で運転を見合わせているものの、同様の信号システムを使用している他12路線は通常運転を行っている。当然ながら市民らはネットを通じて、安全性に対する批判の声を殺到させている。

実際に上海という世界都市の近代化を目の当たりにした筆者は、良くも悪くも共産党の力強さに圧倒されたものだ。しかし、その発展の道を振り返れば、多くの国民の犠牲があり、そして行く手にも穴がごろごろと転がっている状況である。中国の発展に驚かされた我々の感情が、尊敬に変わるか、それとも失笑に変わるのかは、彼らの倫理意識がどれだけ洗練されるかに掛かっている。"見切り発車"は御免なのだ。世界都市としての面子に掛けて、質の高い文明開化を期待している。

【記事:G・JoeⅡ】

9月28日執筆メモ;米俳優ショーンがゲイをカミングアウト!広がるLTGB運動

米俳優ショーンがゲイをカミングアウト!広がるLTGB運動
 2011年9月29日 17:00
国内ではあまり知られていないが、2002年に製作された『Firefly(ファイヤーフライ 宇宙大戦争)』という米SFドラマがある。諸事情で11エピソードで打ち切られた短いドラマであるものの、それなりにSFファンの支持を獲得した作品で、米国ではDVDの売り上げが好調だ。同作品の中でサイモン・タム医師を演じているのがショーン・メイハーであり、彼は主にテレビドラマで活躍している俳優で、その注目度も高い。そんな彼が、雑誌のインタビューで思わぬカミングアウトである。

米メディアによると、エンターテインメント・ウィークリー誌の取材に応じたショーンは、自分がゲイである事を告白したという。また、かつてニューヨークからハリウッドに進出する際に上層部から受けた指示なども明かし、俳優キャリアを優先する為にゲイである事を隠せと言われていたという。更に現在は、9年生活を共にしているパートナー、そして養子として迎えた2人の子どもと一緒に幸せな生活を送っている模様。ショーンは、同性愛者に対する差別は間違っているという意思もコメントしている。

米国では「LTGB」運動が盛んである。これは男性同性愛者(ゲイ、Gay)、女性同性愛者(レスビアン、Lesbian)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexuality)、そして性転換者(トランスジェンダー、Transgender)といった性的少数派の公的な生活権利を訴える運動のこと。国内でもマツコ・デラックスさん、はるな愛さんら中性的なタレントが活躍している昨今、次第に彼らも一般的な社会性を確立する時代に向かっている。子供が「わたしの両親、ゲイなの」と公然と言える、そしてそれを相手の子供が許容出来る時代はまだ近くはなさそうだが、決して遠いとも言いがたい。半世紀後、人類はどのような性的価値観を修得しているか?

【記事:G・JoeⅡ】

2011年9月26日月曜日

26日執筆メモ;驚きの素粒子発見に湧く物理界・・・ところで素粒子って?(後編)

驚きの素粒子発見に湧く物理界・・・ところで素粒子って?(後編)
 2011年9月27日 18:00
(前編の続き)19世紀後半に素粒子の一種である電子が発見された。それ以来、素粒子という物体が人類に投げかけているのは想像を絶する世界である。そもそも従来の物理学は、一定の法則で必ず固定された結果が導かれる"一方通行"の考え方であった。この考え方は「ラプラスの魔物」と呼ばれ、「ラプラスの魔物(物理法則)が人間を含めたあらゆる現実の行き先を既に決定している」というもの。16世紀のキリスト教改革者、フランス人カルヴァンが"神が全ての運命を決定している"という「予定説」を発表しているが、同様の考え方が長らく人類の物理概念を決定して来たのだ。

ところが素粒子というのは、そもそも法則性を持たないと仮説付けられている。「観測後にようやく姿を現す」魔物であり、観測するまではどの空間にも存在している可能性がある。結果は常に流動的であり、予定された未来はまったく存在し得ない。例えば、科学者らの実験により電子は「複数の位置に同時に存在出来る」という仮説が成り立っている。となれば、素粒子から物理学を覗こうとする場合、現実はあくまで流動的に存在を続けており、"歩いた場所が道となる"不安定な世界を形成している事となる。

ニュートリノ研究発表でアインシュタインの特殊相対性理論の崩壊が指摘されているが、そもそもアインシュタインは素粒子の存在をいち早く認めていた科学者でもあった。ただし、彼は素粒子の動作が不安定な確率世界でない事を指摘し、「神はサイコロ遊びをしない!」と反論していた。彼は自然界には安定した法則性が必ず存在するという基本概念を持っていたのである。そして、アインシュタインは物理の世界に確固たる光速の法則性をもたらしてくれた。

以上で簡単な素粒子世界の解説を終える。素粒子に確固たる法則性があるかどうか、"複数の位置"なる、まったく新しい次元が存在するのかどうか、それは我々にはまだ分からない。しかし、案ずる事無かれ。現時点で確かなのは、今日は今日来て、明日は明日来るという現実である。新学説が証明されるまで、我々はひとまず、素粒子世界とは関係なく人生を謳歌する事としよう。手塚治虫著『火の鳥』には、こうある。

人間は虫よりも魚よりも、犬や猫や猿よりも長生きだわ。その一生のあいだに……生きている喜びを見つけられれば、それが幸福じゃないの?

【記事:G・JoeⅡ】

9月26日執筆メモ;驚きの素粒子発見に湧く物理界・・・ところで素粒子って?(前編)

驚きの素粒子発見に湧く物理界・・・ところで素粒子って?
 2011年9月26日 16:25
質量を持つ物体は光よりも速く進めない――アインシュタインの特殊相対性理論が求めた物理の秩序が、突如崩壊しようとしている。光の速さより速く飛ぶ素粒子の一種、ニュートリノを観測したとする欧州研究機関の研究発表がなされ、26日には同研究に参加していた名古屋大教養教育院の小松雅宏准教授らも名古屋大にてセミナーを開催した。研究者が一様に語るのは、偶然にも発見されてしまった速度数値への驚きである。さて、本記事では改めて、素粒子という存在をシンプルに解説しようと思う。

まず、考えて欲しいのは人間社会のことだ。人間は、まず「個人」が存在する。この「個人」が集まり、「民族」を形成する。「民族」が集まると「国家」が出来る。「国家」は条約や連合など様々な形で結びつ「世界組織」を形成する。こういう考え方を、科学の世界に当てはめると、この世界というのは、まず「素粒子」が存在する。「素粒子」が集まり、「原子」を形成する。「原子」が集まると、「元素」が出来る。「元素」が様々な形で合致し合うと、「化合物」が誕生する。図式にすれば、以下のような具合である。

(小)―――――――(大)
個人  民族 国家 世界組織
素粒子 原子 元素 化合物

以上のように、原子を作っている、世界最小の物体が「素粒子」であるが、この素粒子については様々な種類が確認されている。つまり、「個人」を形成する為に骨格、筋肉、神経などが必要なのと同じと考えても良かろう。素粒子はその性質によって大きく2種類に分ける事が出来る。それは(1)物体を構成する素粒子 (2)力を伝える素粒子であり、ニュートリノは「(1)物体を構成する素粒子」に属する物体だ……――(※後編に続く)

【記事:G・JoeⅡ】

2011年9月24日土曜日

9月25日執筆メモ;タイムマシン可能?別次元存在?物理学界に驚き走る

タイムマシン可能?別次元存在?物理学界に驚き走る
 2011年9月24日 14:13
科学における偉大な進歩は、新しい大胆な想像力からもたらされる――というのが、実用主義の社会学者デューイの言葉である。しかし、今回の進歩は発見した本人たちも驚きを隠せず、自分たちの観測したデータが本物かどうか世界の研究者に疑問を投げかけているほどだ。今、我々がここ1世紀の間、固く信じ込んでいた物理学の世界観が、くるりと転回しようとしている。

23日、名古屋大などの国際研究グループが「素粒子ニュートリノが光よりも速いという実験結果を出した」と発表した。これまではアインシュタインの相対性理論が「光速より早い物体は存在しない」という時間と空間の学説を完全に証明していたはずであったが、先述の実験結果はこの理論に矛盾した数値となってしまう。光速より素粒子が速く進んでいたというのであれば、単純に時間を遡る「タイムマシン」説も有効になってくるほか、我々が認識している3次元、および時間の次元(一般に4次元と呼ばれるもの)以外に、また想像もつかない次元の世界が広がっている可能性もある。

同研究グループは実験データを疑い自ら何度も検証実験を行ったが、否定出来ない段階まで達し、今回の公表に結びつけた。今後、公的、または個人問わず、物理学領域の研究者らが実験結果の検証に当たる事になるだろう。素粒子研究の第一人者、観測装置スーパーカミオカンデで有名な東京大学の鈴木洋一郎教授も現時点では冷静に検証を続ける必要があると語っている。

「素粒子。世界で最も小さな物体。何もかも通り抜ける不思議な物体。それは最後の開拓地である。そこには人類の想像を絶する新しい発見、新しい発明が待ち受けているに違いない。この知らせは人類最初の試みとして、本格的に素粒子世界の調査に乗り出した研究者たちの驚異に満ちた物語である…」

【記事:G・JoeⅡ】

2011年9月23日金曜日

9月24日執筆メモ;ドラえもん電車無念の停止、規則正しさ行き過ぎでは

ドラえもん電車無念の停止、規則正しさ行き過ぎでは
 2011年9月24日 16:00
理屈は重々承知している。我々は一部の例外を認める事によって、後続するあらゆる犯罪をも認める事になる。いわゆるスタンフォード大学教授が説き、ニューヨーク市がその身を持って実践した「Broken Window《窓割れ》」理論が、多くの場合、人間の活動に当てはまるというものだ。しかし、そもそも「例外」を定義する「規則」の方が、犯罪を抑制するにはあまりに力なく、そして欠伸が出るほど退屈だったとしたら?その時には、我々は規則の方を見直すか、あるいは例外を認めなければならない。でなければ、社会はコンクリートのように凝り固まり、沈滞する。

至極残念なニュースが報じられた。22日、小田急電鉄(東京・新宿区)が「ドラえもん」や「パーマン」など、漫画家の藤子・F・不二雄さんの人気キャラクターで彩られたラッピング電車を廃止すると発表した。これは今月開館した「川崎市藤子・F・不二雄ミュージアム」(川崎市多摩区)をPRする目的で企画されたもので、本来であれば来年8月まで運航する予定であった。街の人々の目を楽しませていた電車に水を差したのは、「東京都屋外広告物条例」という規則。東京都側はラッピング電車をミュージアム広告と判断し、有難くも条例貫徹の正義をお示し頂いた模様である。

先述した通り、その理屈は理解している。が、実際に筆者もミュージアムへ訪問した傍ら電車を目にしたが、あの素敵な電車のどこに犯罪性があるのだろうか。あの電車を見た途端、急に痴漢でも働きたくなるだろうか。今後、次々に違法な広告電車が登場するだろうか。少なくとも、筆者はそうは思わない。東京都と小田急側は、何らかの妥協点を議論し合い、存続する可能性を見出すべきではなかったのか。筆者は今回の"お役所対応"ついて、またも大いに日本の管理層を失望せねばならなかった。まさにここで、ドラえもんの名言を引用させて貰おう。

いや、そのりくつはおかしい

【記事:G・JoeⅡ】

2011年9月17日土曜日

9月17日執筆メモ;センター街が「バスケ通り」に変更!?筆者は「恋文横丁」を主張する

今や日本を代表する近代メディア都市として発展した「渋谷」。明治、大正期の田園風景広がる農村地帯が、1世紀を経てとんでもない大都会へと変貌を遂げたのだ。音楽やファッションなど若者のサブカルチャー発祥の地として機能する一方、売春や暴力、麻薬事件など危険なイメージも定着した。後者については、渋谷駅前で「ハチ」と名の付くわんちゃんが亡きご主人をじっと待っていた時代からは想像もつかないマイナスイメージだ。と、ここに来て、そんな渋谷に転機が訪れている。

15日、渋谷センター商店街振興組合が長年親しまれた来た「渋谷センター街」の名称を変更すると発表した。これは先述マイナスイメージを払拭する目的があると言い、9月26日から「バスケットボールストリート」、通称「バスケ通り」の名称が適用される。組合側の説明では、若者の持つ「情熱」「エネルギー」を清潔なスポーツに例えようと考え、渋谷の有する「若者・ファッション・音楽・文化・国際性」という持ち味を全て表現できるスポーツとして「バスケットボール」に辿り着いたという。加えて、センター街から通じる国立代々木競技場第二体育館は「バスケの聖地」とされており、こちらも命名の裏づけとされた模様だ。

説明そのものは理解したが、名称「バスケ通り」に対して全く愛着が湧かないのは筆者だけではあるまい。その由来説明は明らかに共感性が乏しい上、何よりセンスのきらめきを感じない。あくまで筆者の印象として意見させて頂くが、センター街の持つクリエイティブなイメージに対し、スポーツの名称がそのまま適用された「バスケ通り」はあまりに"ダサい"のだ。組合側も苦心した上に選択した名称だろうが、筆者としてはそのネーミングセンスに強く反対の立場を表明したい。

「恋文横丁」、これが筆者の主張である。センター街には「恋文横丁」という通りがかつて存在し、現在もその記念碑がひっそりと設けられている。この場所には第二次世界大戦後、当時進駐軍と呼ばれたGHQの軍人に恋をした日本人女性の為に、英文ラブレターを代筆する代書屋が軒を並べていた。1952年に丹羽文雄が小説『恋文』でこのエピソードを紹介し、以後正式に「恋文横丁」の通りが誕生した。「古風すぎる」という批判もあるやしれぬが、負のイメージを払拭するだけの風情と情緒が感じられるはずであるし、その名称の背景には温かいヒューマニズムとクリエイティブな恋物語の歴史がしっかりと根付いている。組合の皆様、考え直してくれませんか。

【記事:G・JoeⅡ】

2011年9月10日土曜日

9月10日執筆メモ;鉢呂吉雄経産相がとんでも失言、大丈夫かオヤジ世代

鉢呂吉雄経産相がとんでも失言、大丈夫かオヤジ世代
 2011年9月10日 17:12
ナポレオンがエジプトに遠征した際、大尉のピエールが大変貴重な知的遺産を入手した。古代エジプトの文書が書き記された、いわゆる「ロゼッタ・ストーン」である。それからおよそ20年後の1822年、フランス助教授のシャンポリオンが同じ記号に着目しアルファベットや文法を解析する方法で古代エジプト文字の解読に成功。そのロゼッタ・ストーンに描かれていた珍しい文言が「今時の若者は何を考えているのか分からない」という言葉である。当時から世代間には価値観の格差があった模様だが、はっきり言って、我々若者も、もうオヤジ世代の行動をまったく理解出来ない。

8日、鉢呂吉雄経済産業相が東京電力福島第一原発の視察を終えた後、報道陣に向って防護服を擦り付けるような仕草で「放射能をつけたぞ」などと幼稚なジョークを飛ばし、大騒動に発展している。また同相は午前中の会見でも福島原発周辺地域を「死の町」と軽々しく発言していたという。10日午後になって「迷惑をおかけしたようでお詫びする」といった内容の謝罪会見が開かれたが、今後の進退については「精一杯頑張る」として続投に意欲を示した。先日発足したばかりの野田新内閣から早くも低次元の騒動が勃発してしまった形で、野田総理は「本人の真意を確かめた上で任命責任について語る」と慎重な姿勢を示している。

今年8月、ベルギーのプロサッカーリーグにおいて、一部サポーターがゴールキーパー川島永嗣選手に対し「カワシマ!フクシマ!」と震災を意識したような野次を飛ばし、川島側が猛抗議する事件が発生した。事情をよく知らぬ外国人ならまだしも、同じ日本人の、しかも統治機関の大臣が「放射能つけちゃうぞ」ジョークである。"チームドラゴン"の松本元復興相が起こした騒動も耳に新しいばかり。「政府にはまともなオヤジはいないのか!」と指摘されても、返す言葉がないはずだ。

【記事:G・JoeⅡ】

(※10日午後9時25分現在、同相は新たに記者会見に臨み、大臣の辞任を公式に発表した。新内閣での大臣就任から9日後のスピード辞任劇である)

2011年9月3日土曜日

ブログのひっこし完了

新世界のためにより移行完了!
以後の更新記事はこちらの「ハッピィ・レボリューション」にて

執筆メモ(シネマレビュー);最新作『くまのプーさん』公開・・・が、思わぬ落とし穴?!

最新作『くまのプーさん』公開・・・が、思わぬ落とし穴?!
 2011年9月3日 11:09
3日、記念すべきウォルト・ディズニー生誕110周年記念作品、ディズニー・クラシックス第51作として『くまのプーさん』が公開された。もちろん、アラン・ミルン原作の英国寓話『くまのプーさん』をディズニーがアニメ化した、国内外で人気を博するシリーズの最新作である。米国本国では批評家が「あの時のままのプーさんだ」「ノスタルジックに浸れて大人も癒される」と好評価を博していたが、なんと、我々にとっては思わぬ"落とし穴"が存在した。

文字通りの落とし穴なのだが、中盤の《The Backson》シーン(怪物スグモドル、英文綴りは意識的な間違えジョーク、正しくはBack Soon)にて、長らくエピソードの中に登場するのが「落とし穴」で、プーさんの"オチ"も、この落とし穴が重要なファクターを占めて来る。となると、大人たちは近日耳にした、あの奇怪で軽薄な砂浜の事件を連想しない訳にはいかず、作品の情緒が削がれてしまう可能性が高い。映画上映中の携帯電話の着信音同様、こうした横槍を入れてくださったかの事件に恨めしさを感じずにはいられない。

それはさて、映画作品そのものは、確かに米批評家の言うとおり「あの時のままのプーさんたち」がしっかりと描かれている。ナンセンスな台詞回しも愉快だが、プーさんたちの細やかな表情、仕草、動き、歌など反応的な要素が大変充実している。新しいセンスを求める大人には受けが悪いかもしれないが、ノステルジックを求める大人たち、そして子供たちはきっと、このプーさんたちの物語を気に入るに違いない。

【記事:G・JoeⅡ】


2011年9月2日金曜日

執筆メモ;アンドロイドタブレットの印象は?acer社「A500-10S16」

アンドロイドタブレットの印象は?acer社「A500-10S16」
 2011年9月1日 20:00
人生初のタブレット体験へ
2011年7月1日より発売となったアンドロイドタブレットPC「ICONIA TAB A500-10S16」が、8月9日よりシステムアップデートを開始している。主にはインターフェイスの日本語表記が完全補填された。タブレットに懐疑的であった筆者だが、価格.comで好評価を得ている事(9月1日時点でタブレット部門の売上・注目度1位)、またAmazon.co.jpで送料無料の31708円と低価格であった事(9月1日現時点の最安値は32375円)を受け、購入に踏み切った。結果として、とても満足している。・・・が、購入には注意が必要だ。

そもそもアンドロイドって?
コンピュータの仮想空間には部屋の様式(基本OSソフト)がある。現在最大のシェアを誇るパソコンには、「ウィンドウズ」様式の部屋が用意されている。これは窓をうまく使った部屋で、見た目がとても分かりやすい。一方、最近話題となっているのが「アンドロイド」様式の部屋である。特徴は部屋にある物を指でタッチできる直感的な操作感覚。「ウィンドウズ」様式とは違い家賃がタダ(オープンソース)という事もあって、米国・国内スマートフォンでもっとも多く利用されている部屋だ。この「アンドロイド」様式は、最近になってパソコンにも使用されるようになった。

操作感はばっちり
タブレットPCの代表格たるアップル社iPad2の操作感と比べてみても、A500のリスポンスの良さはまったく引けを取らないイメージだ。タッチやソフト(アプリ)の起動にはほとんどもたつかず、液晶もじつに美麗だ。電池の持ちも問題なく(公式は連続駆動10時間)、多少重みはあるがタブレットとしての機能性を阻害してはいない。BluetoothやUSB接続端子で一般キーボードを使える点も評価できる。iPadが完全に無視したストレージ回りについては、micro SDカードリーダ搭載によって、内臓16GB(実際に使用可能な領域は12GB程度)に加え、最大32GBまでSDカードによる増設が可能。USBから外部メモリも認識させる事ができる。

インターフェイス設定
「ウィンドウ」様式では、最初の画面(デスクトップ)は1画面のみ。「アンドロイド」様式にはタッチで移動させるタイプの5画面が存在する。画面右上の「+」をタッチし、自分なりの画面を設定することができる。また、「ウィンドウ」様式の「スタート」と同じ機能を持つのは、「アンドロイド」様式の画面右上にある「アプリ」。ここからインストールされたソフトを起動させることができる。筆者の場合は壁紙を「星空」にした上で、中央画面には何も置かず、1枚右の画面に「時計」「VitalPlayer」「フォトブラウザ」「マップ」「Docs To Go」「ギャラリー」「設定」「ブラウザ」「ナビ」「カレンダー」のショートカットを置いている。

筆者の場合は
このタブレットに期待したのは「電子書籍閲覧・簡単なネット閲覧」。SDカードに入れている約1万冊の電子書籍(PDFファイル)を「Docs To Go」アプリで読んでいる。「ブラウザ」でインターネットを閲覧しているが、現時点で不足を感ずる所はなにもない。起動時間の短さ、駆動時間の長さ、操作性と機能性の良さ――たしかに、新型デバイスとしてタブレットPCはかなり使い勝手の良い革新的な電化製品である。

タブレット世界への注意書き
操作感はとても良いが、操作の方法に慣れるまでに時間を要する。これまでパソコンに慣れていた者も、かえって「アンドロイド」様式の雰囲気に苦戦を強いられてしまいそうだ。直感的な動作が前面に押し出されたが、その自由度の高さが逆に一般ユーザーの混乱を招いている。使用目的が明確で機械の操作に一定の感性を持つユーザーには有益なアイテム、機械に慣れていない者にはまだ敷居の高いアイテム、と言える。今後、一般ユーザーがタブレット世界の住人となる為には、機能と操作をとことんまでシンプルに制約する事が必要となろう。――と、いうのが筆者の印象である。多少値段は高めとなるが、「ウィンドウズ」様式のタブレットPCも充実し始めている。これまでのパソコン感覚を失いたくないユーザーはそちらを検討しても良いだろう。

【記事:G・JoeⅡ】