驚きの素粒子発見に湧く物理界・・・ところで素粒子って?(後編)
2011年9月27日 18:00
(前編の続き)19世紀後半に素粒子の一種である電子が発見された。それ以来、素粒子という物体が人類に投げかけているのは想像を絶する世界である。そもそも従来の物理学は、一定の法則で必ず固定された結果が導かれる"一方通行"の考え方であった。この考え方は「ラプラスの魔物」と呼ばれ、「ラプラスの魔物(物理法則)が人間を含めたあらゆる現実の行き先を既に決定している」というもの。16世紀のキリスト教改革者、フランス人カルヴァンが"神が全ての運命を決定している"という「予定説」を発表しているが、同様の考え方が長らく人類の物理概念を決定して来たのだ。
ところが素粒子というのは、そもそも法則性を持たないと仮説付けられている。「観測後にようやく姿を現す」魔物であり、観測するまではどの空間にも存在している可能性がある。結果は常に流動的であり、予定された未来はまったく存在し得ない。例えば、科学者らの実験により電子は「複数の位置に同時に存在出来る」という仮説が成り立っている。となれば、素粒子から物理学を覗こうとする場合、現実はあくまで流動的に存在を続けており、"歩いた場所が道となる"不安定な世界を形成している事となる。
ニュートリノ研究発表でアインシュタインの特殊相対性理論の崩壊が指摘されているが、そもそもアインシュタインは素粒子の存在をいち早く認めていた科学者でもあった。ただし、彼は素粒子の動作が不安定な確率世界でない事を指摘し、「神はサイコロ遊びをしない!」と反論していた。彼は自然界には安定した法則性が必ず存在するという基本概念を持っていたのである。そして、アインシュタインは物理の世界に確固たる光速の法則性をもたらしてくれた。
以上で簡単な素粒子世界の解説を終える。素粒子に確固たる法則性があるかどうか、"複数の位置"なる、まったく新しい次元が存在するのかどうか、それは我々にはまだ分からない。しかし、案ずる事無かれ。現時点で確かなのは、今日は今日来て、明日は明日来るという現実である。新学説が証明されるまで、我々はひとまず、素粒子世界とは関係なく人生を謳歌する事としよう。手塚治虫著『火の鳥』には、こうある。
人間は虫よりも魚よりも、犬や猫や猿よりも長生きだわ。その一生のあいだに……生きている喜びを見つけられれば、それが幸福じゃないの?
【記事:G・JoeⅡ】
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