今や日本を代表する近代メディア都市として発展した「渋谷」。明治、大正期の田園風景広がる農村地帯が、1世紀を経てとんでもない大都会へと変貌を遂げたのだ。音楽やファッションなど若者のサブカルチャー発祥の地として機能する一方、売春や暴力、麻薬事件など危険なイメージも定着した。後者については、渋谷駅前で「ハチ」と名の付くわんちゃんが亡きご主人をじっと待っていた時代からは想像もつかないマイナスイメージだ。と、ここに来て、そんな渋谷に転機が訪れている。
15日、渋谷センター商店街振興組合が長年親しまれた来た「渋谷センター街」の名称を変更すると発表した。これは先述マイナスイメージを払拭する目的があると言い、9月26日から「バスケットボールストリート」、通称「バスケ通り」の名称が適用される。組合側の説明では、若者の持つ「情熱」「エネルギー」を清潔なスポーツに例えようと考え、渋谷の有する「若者・ファッション・音楽・文化・国際性」という持ち味を全て表現できるスポーツとして「バスケットボール」に辿り着いたという。加えて、センター街から通じる国立代々木競技場第二体育館は「バスケの聖地」とされており、こちらも命名の裏づけとされた模様だ。
説明そのものは理解したが、名称「バスケ通り」に対して全く愛着が湧かないのは筆者だけではあるまい。その由来説明は明らかに共感性が乏しい上、何よりセンスのきらめきを感じない。あくまで筆者の印象として意見させて頂くが、センター街の持つクリエイティブなイメージに対し、スポーツの名称がそのまま適用された「バスケ通り」はあまりに"ダサい"のだ。組合側も苦心した上に選択した名称だろうが、筆者としてはそのネーミングセンスに強く反対の立場を表明したい。
「恋文横丁」、これが筆者の主張である。センター街には「恋文横丁」という通りがかつて存在し、現在もその記念碑がひっそりと設けられている。この場所には第二次世界大戦後、当時進駐軍と呼ばれたGHQの軍人に恋をした日本人女性の為に、英文ラブレターを代筆する代書屋が軒を並べていた。1952年に丹羽文雄が小説『恋文』でこのエピソードを紹介し、以後正式に「恋文横丁」の通りが誕生した。「古風すぎる」という批判もあるやしれぬが、負のイメージを払拭するだけの風情と情緒が感じられるはずであるし、その名称の背景には温かいヒューマニズムとクリエイティブな恋物語の歴史がしっかりと根付いている。組合の皆様、考え直してくれませんか。
【記事:G・JoeⅡ】
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