2011年10月22日土曜日

22日執筆メモ;静岡県で猥褻教師続々・・・改善すべき3つの点とは?

静岡県で猥褻教師続々・・・改善すべき3つの点とは?
 2011年10月22日 18:15
5件。静岡県内の教師がセクハラや猥褻などで逮捕・小官位免職等の処分を受けた人数である。しかもそれは、今年8月だけの数字なのだ。震災によって清められたかに思えた人間の業は根強く、しかも次世代を育てる聖職者のはずの彼らが実に詰まらない欲望に負ける。

今月17日にも、静岡県立科学技術高校の男性教諭(47)が女子生徒への強制わいせつ容疑で逮捕された事件が発生。20日には県教委が臨時校長会を開催したが、安倍教育長はどう対策して良いのか分からないといったニュアンスのコメント。結果としては学校内で的確な人間関係を築いて対応して欲しいという、なんともおざなりな精神論が展開されるに留まる始末だ。

数ヶ月前、筆者は神奈川県内の一般中学校を、ある私用から目の当たりにした。そこで少なくとも筆者が感じたのは、教育レベルの徹底的な崩壊、学校という組織に属する事になった教師や校長の混迷ぶりであり、更に正直に付け加えるのなら、後者の人々における"無能""先見の明のなさ""哲学性の欠如"であった。もちろんこれはあくまで個人的・限定的な印象であるが、こうして全国で学校に関する不祥事が勃発する中で、決して的外れな批判とも言いがたいのではなかろうか。

さて――筆者は以下の3点において、学校システムの是正が必要と感じている。それらは一見して斬新過ぎるように感ずるかもしれぬが、それぞれに真っ当な理由がある。

(1)教員免許状と採用試験の「廃止」
(2)「学校」という固定枠撤廃
(3)制服基幹デザインの変更

(3)に関しては言うまでもないだろう。海兵セーラー服が当初持ち得ていた「清楚」「陽気」という印象は希薄となり、現代では特定層のリビドー(情欲)を誘う対象物へと成り下がりつつある。統一性・知性を感ずる、近未来型の、至極格好良い制服デザインへ変更がなされるべきである。

(2)は、学生が自ら授業を選択する方式を採用する事。義務教育内では学生に「学校」「教師」の選択権はなく、「科目」に関しても選べる範囲は極々限られている。この沈溺した閉鎖性が教育の自由度を著しく下げているのが現状で、教育機会の不平等が生じている。最低限の必須科目を設定した上で、学生は自ら、学校という枠関係なく、自分の受けたい授業、教師を選べるシステムを採用すべきである。

(1)は、教員免許状や採用試験が形骸化した現代における、最も必要な処置のうちのひとつである。実際、教員養成課程における必須カリキュラムのうち、教師の技術を直接養成するのは教育実習(2週間~1ヶ月)のみ。教員免許状がその他に免じるのは、詰まらない知識の羅列に過ぎない。そして、多くの教員採用試験でも同様、詰まらない知識の羅列と面接官(校長ら)による至って主観的な判断が試験に反映されるだけであり、当然ながら教員の資質や才能を保障する有効なシステムではない。

よって、教員を保障する免許や採用試験は撤廃すべきである。それらはお互いに時間を浪費させるのみで、まるで意味を成さない。では、教員を保障する為には何が必要なのか?教員を保障するのではなく、「自分の専門能力を保障してくれる」免許や採用試験が必要なのだ。

とにかく、筆者は強く主張する。教育システムが早々に改善されない限り、日本に未来はない!

【記事:G・JoeⅡ】

2011年10月19日水曜日

19日執筆メモ;怒られたので認めます・・・?九州電力やらせ問題

怒られたので認めます・・・?九州電力やらせ問題
 2011年10月19日 13:46
「ずっと先まで、明るくしたい」は、2007年から採用された九州電力の広報用キャッチフレーズである。ただ、こんな状況になってしまった今では、こんな美辞麗句に対し反吐が出るような思いを抱く諸賢も多かろう。経済産業省からの天下り巣窟のうちのひとつとして安全より私服と権力を肥やすことに邁進し、人々が悲しみの絶頂にあった震災後に開かれた、至って真剣に原発問題を話し合うはずの討議の場で、自分たちの立場を擁護するやらせメールを画策した。この会社の上層部や関連エリート達が本当に明るくし続けたかったのは、自分たちの豊潤な生活だけである。

18日、九州電力が国に再提出する予定の「やらせメール」問題最終報告書について、自身らが否定していた佐賀県や古川康知事のやらせへの関与を認める方針を固めたという。同報告書は今月内にも提出する予定の、文字通り最終的な内部報告書。これまで同社は佐賀県や古川康知事の事件関与を否定していたが、今回、一転して認める立場を表明した。この方針転換については、枝野幸男経済産業相が行った激しい批判意見が背景にあると言われており、内容は大幅に同相の意向に沿った形に修正されるという。

愚か者が代金を手にしているのは何のためか。知恵を買おうにも、それに見合う心がないではないか――旧約聖書17章16節からの引用である。はっきり言おう!あなた方は肩書きも資産も手に入れた人たちだ。だが、それだけである!早く心を戻さなければ、あなた方の居場所はどこにも無い。

【記事:G・JoeⅡ】

2011年10月17日月曜日

執筆メモ;(11月以降掲載予定)単なる憂さ晴らしで終わらせるなウォール街デモ

単なる憂さ晴らしで終わらせるな、ウォール街デモの今後
 2011年10月17日 10:30

「Occupy Wall Street(ウォール街占拠デモ)」は、行き過ぎた市場経済への抵抗活動である。若者たちが格差社会を是正せよと叫びながらソーシャル・ネットワークを介して集まり、その規模は数千人にも達した。その後、格差社会・市場経済主義への抵抗運動としてボストン、シカゴ、テキサス、サンフランシスコなど、全米各地にまで拡散し、運動は欧州各都市部にも広がった。奇しくも欧州では銀行破綻、国家破綻、雇用不安などが加速している昨今、こうした抵抗運動はまさに若者たちの心の叫びとして現れている。

ところが、この注目すべき運動の中でさっぱり見えないのが、デモの先にある近未来の姿だ。同じくソーシャル・ネットワークを介して爆発したアラブ諸国の反政府運動は、「独裁政権を排除し民主的な国家を建設する」という人々の願いがあった。一方でウォール街デモから伝わって来るのは、単に行き詰った市場経済主義社会の悲壮感だけ。世界中の人々に広く現代社会の問題点を認識させた事は事実だが、米メディアが揶揄するように「出口のない革命」に過ぎない状況が続いている。若者たちが近未来のあるべき姿を描けなければ、せっかくのこの歴史のうねりも、単なる憂さ晴らしに終わってしまう。要するに、日本の江戸史に珍妙な形で残る「ええじゃないか」運動とそう大差はない。

市場経済社会の後に基盤にすべき、22世紀へ向けた新世界のあり方を、本格的に論ずるべき時が来たのだ。そもそも筆者は、社会の構造傾向を以下のように分類している。

(1) 自然共存型――原始的、牧歌的な生活が展開される農牧社会
(2) 論理規律型――宗教や法律によって規律を基盤にした支配社会
(3) 関係寛容型――人間関係に主軸を置き、多くの活動において自由が認められる並列社会

筆者は、現在の人類が(2)から(3)への移行を始めている時期だと認識している。我々は次第に宗教的戒律や風土による無価値な伝統感から脱し、多くの自由活動が許され始める段階に来た。しかし、未だにこれらの活動を統制しているのは一握りの権力者であり、一握りの資産家である。近未来は、一部ではなく、万人がそれぞれの権力を分担する社会になるべきであり、そうしてこそ高次の新社会構造が実現するはずである。

これが筆者が再三、本記事で述べさせて頂いている新社会の基本論である。筆者はこれを、「少数支配・多数隷属」から「万人分担・万人活動」への価値観革命と呼んでいる。

※「ええじゃないか」騒動は、江戸時代末期の慶応3年(1867年)7月から半年ほど続いた社会現象。天から護符が降ってくるといった設定で、民衆たちが「ええじゃないか」と言いながら一心不乱に踊り続けた。東海道、畿内を中心に、四国まで拡大。同運動の目的は諸説があるが、閉塞感のあった社会に対する反抗、一種の息抜きであったと考えられている。

【記事:G・JoeⅡ】

2011年10月3日月曜日

10月4日執筆メモ;犬だけに聞かせる特別広告、ネスレ考案の新宣伝法

犬だけに聞かせる特別広告、ネスレ考案の新宣伝法
 2011年10月4日 17:00
19世紀末に活躍したイギリスの生物学者が開発したのが、周波数22000Hz程度の音を発する特別な笛である。ようするに、これが"犬笛"である。人間の可聴範囲は20Hzから20,000Hz程度であり、これ以上はどんな音も耳にする事は出来ない。22000Hz以上の音色を聞き分けるのは犬や猫など一部の動物だけであり、この生物的特徴をうまく利用した発明品である。現在でも訓練や称呼などに利用されている犬笛だが、この度、ある企業もこうした生物特徴を取り入れ一アイデアを浮かべたようだ。


ネスレは飲料事業などを展開するスイスの食品大手企業だが、ペットフードとしても世界最大手のシェアを誇る会社である。30日、同企業は「ペットの犬向け」テレビ宣伝の放映をオーストリアで開始しており、宣伝の中で犬だけに聞こえる高周波を使用している事を発表している。CMはドッグフードブランド「Beneful」をPRする20秒程度の映像。CMの中身はユーチューブ上にアップロードされた公式動画『BENEFUL TV Soundspot』で確認する事が出来るが、内容はドッグフードを紹介する一般的な広告で、我々人間には特別な音は聞こえてこない。

音の認識能力には人間の中でも個性がある。心理学では有名な「カクテルパーティー効果」は、どんな騒がしい場所にいても、自分の名前が呼ばれた時には思わず反応してしまうという人間の特徴的な認識能力を示している。そういえば、どんなに泣いている赤ちゃんもピタリと泣き止む「タケモトピアノ」のCMが話題になった事があるが、こちらは偶然の現象。まだまだ、音に関する研究も開拓の余地がありそうだ。

【記事:G・JoeⅡ】

(ユーチューブ:ネスレ)http://www.youtube.com/watch?v=UTF3Gc22va4&feature=related
(ユーチューブ:タケモトピアノ)http://www.youtube.com/watch?v=6J2dpKi3VUo&feature=related