単なる憂さ晴らしで終わらせるな、ウォール街デモの今後
2011年10月17日 10:30
「Occupy Wall Street(ウォール街占拠デモ)」は、行き過ぎた市場経済への抵抗活動である。若者たちが格差社会を是正せよと叫びながらソーシャル・ネットワークを介して集まり、その規模は数千人にも達した。その後、格差社会・市場経済主義への抵抗運動としてボストン、シカゴ、テキサス、サンフランシスコなど、全米各地にまで拡散し、運動は欧州各都市部にも広がった。奇しくも欧州では銀行破綻、国家破綻、雇用不安などが加速している昨今、こうした抵抗運動はまさに若者たちの心の叫びとして現れている。
ところが、この注目すべき運動の中でさっぱり見えないのが、デモの先にある近未来の姿だ。同じくソーシャル・ネットワークを介して爆発したアラブ諸国の反政府運動は、「独裁政権を排除し民主的な国家を建設する」という人々の願いがあった。一方でウォール街デモから伝わって来るのは、単に行き詰った市場経済主義社会の悲壮感だけ。世界中の人々に広く現代社会の問題点を認識させた事は事実だが、米メディアが揶揄するように「出口のない革命」に過ぎない状況が続いている。若者たちが近未来のあるべき姿を描けなければ、せっかくのこの歴史のうねりも、単なる憂さ晴らしに終わってしまう。要するに、日本の江戸史に珍妙な形で残る「ええじゃないか」運動とそう大差はない。
市場経済社会の後に基盤にすべき、22世紀へ向けた新世界のあり方を、本格的に論ずるべき時が来たのだ。そもそも筆者は、社会の構造傾向を以下のように分類している。
(1) 自然共存型――原始的、牧歌的な生活が展開される農牧社会
(2) 論理規律型――宗教や法律によって規律を基盤にした支配社会
(3) 関係寛容型――人間関係に主軸を置き、多くの活動において自由が認められる並列社会
筆者は、現在の人類が(2)から(3)への移行を始めている時期だと認識している。我々は次第に宗教的戒律や風土による無価値な伝統感から脱し、多くの自由活動が許され始める段階に来た。しかし、未だにこれらの活動を統制しているのは一握りの権力者であり、一握りの資産家である。近未来は、一部ではなく、万人がそれぞれの権力を分担する社会になるべきであり、そうしてこそ高次の新社会構造が実現するはずである。
これが筆者が再三、本記事で述べさせて頂いている新社会の基本論である。筆者はこれを、「少数支配・多数隷属」から「万人分担・万人活動」への価値観革命と呼んでいる。
※「ええじゃないか」騒動は、江戸時代末期の慶応3年(1867年)7月から半年ほど続いた社会現象。天から護符が降ってくるといった設定で、民衆たちが「ええじゃないか」と言いながら一心不乱に踊り続けた。東海道、畿内を中心に、四国まで拡大。同運動の目的は諸説があるが、閉塞感のあった社会に対する反抗、一種の息抜きであったと考えられている。
【記事:G・JoeⅡ】
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