2011年8月26日金曜日

8月26日執筆メモ;カダフィ大佐の首都トリボリ要塞瓦解、リビアの跡と未来

カダフィ大佐の首都トリボリ要塞瓦解、リビアの跡と未来
 2011年8月26日 02:45
先日世界遺産に登録された平泉に辿り着き、松尾芭蕉は旅を締めくくる一句を口にした。「夏草や兵どもが夢の跡」――豪族で名を馳せた奥州藤原氏、彼らは鎌倉時代まで中立的な経済都市・平泉を大いに栄えさせたが、その後の権力闘争に敗れて露と消えた。滅亡後450年を経て、そこには草が生えるばかりであった。この場所にもいずれ、草が生い茂り、兵どもの夢の跡となるのか。それとも、何かの記念碑となり、後世まで語り継がれるのか。

リビアの独裁者カダフィ大佐の独裁政権が崩壊した。首都トリポリのバーブ・アジジヤ地区には住居、及び軍事基地として使用されていた中心施設がある。長期戦や空爆に備え、地下坑道も用意されていたというが、革命勢力の意志は団結し、固かった。現在は瓦解し銃痕だらけとなった施設に、生活の跡が散乱している状況だという。尚、カダフィ大佐は24日に同施設から避難したと言い、確認されている地元ラジオ番組による演説では、引き続き徹底抗戦の構えを示しているという。

皮肉なのは、大佐自身がかつて革命の先導者として市民らから敬慕を受けたという点だ。1969年、首都トリポリでクーデターを敢行し、病気療養でトルコに滞在中の国王イドリース1世を退位させ、リビア国家の無血革命を成功に導いた後、自らは第一線を退いて「敬愛なる指導者」と呼ばれた。が、その後の豹変ぶりに対し、エジプトのサーダート大統領が評したカダフィ大佐は「頭のてっぺんから足の爪の先まで狂っている男」、である。まさにミイラ取りがミイラになってしまったリビアの歴史の一幕。今回の革命ではこれを教訓として、良い国作りが行われる事を願う。

【記事:G・JoeⅡ】


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