うっとおしい雨が続いていました。いつもは穏やかな湖畔が、まるでお化けのようにうねりうねっています。ついに雷まで落ちてきたので、アリスはきゃっと叫ぶや否や、思わず自転車を芝生の上に放り出し、近くにあった民家へと駆け出しました。先週買ったばかりの紐靴が台無しになっていましたが、もうそれどころではありません。泥だらけになって、ようやく彼女は中庭を通り抜けて、玄関の前にやって来ました。
「あら、あなたも大変なのねっ!」
アリスは玄関の隅っこで縮こまっていた子猫をひょいと拾い上げ、胸にぎゅっと抱きしめると、数回呼び鈴を押しました。アリスは辛抱強く相手の応答を待っている間に、はっとして、きょろきょろと辺りを見回しました。雨の中ですっかり景色を忘れてしまっていたアリス。彼女は不意にぶるりと体を震わせました。
(どうして忘れちゃったのかしら!
よりにもよって、こんな家に駆け込もうとするなんて!いつもお友達との間で話をしている、あのお化け屋敷だわ!…お爺さんの幽霊が出るって!…)
ところが、アリスが立ち去ろうと体を向き変えた瞬間、どっと、凄まじい雨が降り出したのです。それはまるで、アリスの鼻先を削ぎ落としてやろうとでも言うようなおぞましい雨だったので、彼女は立ちすくんでしまいました。そしてそのすぐ後に、背中の方からギィッという音がして、古臭いささくれた木の扉が、小さく開かれました。
「…」
「あ、あの、こんにちわ…その…えーと…」
扉からにゅっと顔を出した――と言うよりも、まるで怪物のようなかぎ鼻を出したお爺さんを見るや否や、アリスはすっかり肝を冷やしてしまいました。彼女は「えーと…」と言ったきり口をつぐんでしまって、ただただ、とんでもない鼻を見つめるばかりでした。それはまるで、鼻の方が本体で、あとの体は付属品なのだと言わんばかりでした。
アリスはしばらく、石のように立ちすくんでいました。お爺さんはお爺さんの方で、何も言わず、ただじっとアリスを冷たい目で見下すばかりです。と、アリスが胸に抱きかかえていた子猫がにゃあんと一声叫んで、もぞもぞともがくと、そのままピューッと、戸の隙間から家の中へ駆け出して行ってしまいました。鼻は子猫の姿を追いかけるように振り返ったかと思うと、今度はまたアリスの方へ振り返って、のろのろとした動作で扉をぎぃっと、いっぱいに開けました。
「あ、あの、こんにちわ…その…えーと…」
アリスがさっきと同じ言葉をもごもご告げた時、もうお爺さんはスタスタと奥へ消えてしまいました。それも、無言のまま。アリスはただぽかんと口を開けていましたが、次の瞬間、ピシャリ!と雷が落ちた音を聞くなりピョンと跳ね上がって、思わず家に入り込み、扉を閉めてしまいました。そして、彼女は振り返るなり、さっきよりもずっと高く、しかも悲鳴つきで跳ね上がらなければなりませんでした。奥に消えたと思ったお爺さんが、またもや無言のまま、ぬっと後ろに立っていたからです。ところがよくよく見てみると、お爺さんの手には大きな手ぬぐいが握られていました。アリスがどぎまぎしながら手ぬぐいを手に取ると、お爺さんはまたスタスタと奥へ向かい、突き当たりを曲がってしまいました。
「ちょっと待って?ねぇ、お爺さんったら!」
アリスは手ぬぐいを持ったままぎしぎし言う廊下を駆け出して、ひどい陰気くささに顔をしかめつつ、お爺さんと同じように突き当たりを曲がりました。お爺さんは幅の広い、緩やかにカーブした階段を上がっているところでした。しかしこの女の子の声は、呼びかけの言葉としてはとてもか細いものだったので(何しろ、彼女はお爺さんが本当のお化けかもしれないと思って、心底びくびくしていたのです。)、耳の遠いお爺さんにはまったく聞こえないようでした。お爺さんは手すりに掴まり、意外にも器用な足運びで、もう二階まで到達しようとしていました。
「ねぇったらぁ!」
ここはただでさえ暗い廊下でしたが、二階はますます暗く、それに何だか、妙に涼しい風がそよそよと流れ込んで来ていました。アリスは「こんな怖い階段なんてとても上れやしない!あの暗い所に吸い込まれそう!それに、壁に掛かっている絵だって、まるで私を見ているみたい…!」と考えて、ぶるりと背筋を震わせました。それでも結局、廊下で一人、ただただ突っ立っている方が怖かった彼女は、ぐっと唇をかみ締めて、一段、一段、と階段を上り始めました。そしてそろそろと二階の様子を見ようと首を伸ばしたその時…まさに、その時なのでした。ぴゃっと!悪戯な子猫がぴゃっと!飛び出して来たのです。それは本当に、まるで「ぼくは君を怖がらせてやろうという偉大な野望を抱いているのだ」というような調子で、どこかにたにたと、振り返ってみせるのでした。
「きゃあ!」
可愛そうなこの女の子は、驚かされただけではなくって、持っていた手すりから手を離し、足を滑らせ、尻もちを付き、そのままぐるぐると階段から転げ落ちてしまいました。そして彼女は、階段下に置かれていた小さな机の脚に、思い切って頭と体をぶつけて、そのまま気を失ってしまいました…――――
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